「本当はもう、がんばり方さえ分からなくなって、立ち止まってしまっていませんか。」

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世界はときどき、あまりにも不親切で、あまりにも目まぐるしい。

朝、遮光カーテンの隙間から差し込む光の粒が、埃をきらきらと反射させているのを見つめるとき、私はいつも自分と世界の間に一枚の薄い硝子(がらす)の膜があるような、奇妙な隔たりを感じています。

一九八〇年の秋にこの世に生を受けてから、四十年以上が経ちました。世間がいう「大人」の年齢に達してもなお、私は数字の羅列や記号の連なりを目にすると、頭の奥に冷たい霧が立ち込め、そのまま深い眠りの底へと引きずり込まれてしまう不器用さを抱えています。かつて、生きる意味を見失い、ただ薬の入った袋を見つめて引きこもっていた二十六歳の私を救ってくれたのは、一頭の犬でした。あの子の温かい体温と、夜の散歩。あの柔らかい皮膚の感触だけが、私をこの世界に繋ぎ止める確かな錨(いかり)だったのです。

四十歳を過ぎてから、長い時間をかけて手に入れたトリマーの資格。
今の私は、若いオーナー夫婦や、二十代の眩しいスタッフたちがせわしなく立ち働く動物病院の片隅で、静かにハサミを握っています。

数字の計算や調剤のような、間違いの許されない細かな作業は私にはできません。カルテの数字を見つめるだけで、脳の神経が麻痺したように固まってしまうからです。副院長の鋭い視線や、冷徹な言葉の刃に胸を抉られ、「私はここにいていいのだろうか」と、今でも喉の奥が詰まるような吃音を時々発しながら、申し訳なさに押し潰されそうになる日もあります。

けれど、ハサミを手にした瞬間、私の手のひらは確かな現実を取り戻します。

「シャキ、シャキ」

真鍮と鋼の擦れ合う冷たくて硬質な、しかしどこかクラシカルで美しい音。それは、不揃いな世界を自分の手で整えていく、祈りのような時間です。病気を抱えたシニア犬の、かすかな寝息。その小さな心臓の鼓動が、私の手のひらを通じて静脈へと伝わってきます。生と死の境界線にいるその子たちの、最後の美しさを整えること。それだけが、この不完全な私に許された、世界への報復であり、最大の愛の表現なのです。

同居する五十六歳のパートナーと、八十代のご両親。籍を抜くことで守った、壊れやすくて穏やかな関係。将来への不安や、自分の肉体の衰え――老眼の兆候や、子宮を失ったお腹の軽い喪失感――に、ふと夜中に涙がこぼれることもあります。もう、幼い頃のように「何でも打ち明けられる親友」なんて、この先一生できないのかもしれない。そんな諦念が、お守りのように胸のポケットに静かに収まっています。

それでも、我が家の五歳になるトイプードルが、私の膝の上に冷たい鼻先を押し付け、ふかふかの体温を預けてくるとき。
そして、週に一度の訪問看護の看護師さんが淹れてくれる、温かいカモミールティーの湯気を見つめるとき。
私は、「ああ、今日も生きていていいのだ」と、胸の奥からじわじわと広がる安心感に包まれます。

正論なんて、いらない。
「もっとがんばれる」「あなたが弱いからだ」そんな言葉に、もう耳を貸す必要はありません。
あなたは、これまでの人生で、もう十分に、痛いほどの傷を負いながら戦ってきたのですから。

今、この文章を読んでいるあなたへ。
毎日、仕事や家事、介護や人間関係、そして愛する犬や猫たちとの暮らしを守るために、息を詰めるようにしてがんばっているあなたへ。
どうか、自分を責めないでください。あなたのその不器用さは、心がとても優しくて、美しい証拠なのですから。

ここで、日々動物たちと向き合う私から、毎日の暮らしが少しだけ愛おしくなる「小さな魔法(プチ情報)」をお届けします。


🐾 犬や猫と、あなたの心をほどく「手のひら温灸」

大切なパートナーである愛犬や愛猫と、言葉を超えて深く通じ合い、同時にあなたの荒んだ心を一瞬で整える、簡単で優しいケア方法です。

  1. 手のひらを温める
    まずは、あなた自身の手を両手でこすり合わせるか、お湯で温めてください。指先までじんわりと温かくなったら準備完了です。あなたの手のぬくもりは、動物たちにとって何よりの治療薬です。
  2. 「耳のうしろ」と「首の付け根」へのアプローチ
    犬や猫の耳のうしろや、首の付け根(人間でいう肩甲骨の間あたり)には、自律神経を整えるツボが集中しています。ここに温かい手のひらをそっと、ただ「置く」ようにあててください。揉む必要はありません。
  3. 呼吸を合わせる
    手をあてたまま、目を閉じて、あなたの呼吸を動物たちの呼吸のペースに合わせてゆっくりと深くしていきます。動物の体温(約38〜39度)が、手のひらを通じてあなたの静脈へと溶け込んでいくのを感じてください。

これだけで、お互いの脳内から「オキシトシン(幸せホルモン)」が分泌され、張り詰めた緊張の糸が、ふっと緩んでいきます。


世界とあなたの間にある、冷たい硝子の膜。
それを無理に突き破ろうとしなくていいのです。
ただ、その膜の内側にある、あなただけの温かい暮らしと、大切な家族(毛むくじゃらの天使たち)との時間を、愛おしそうに眺めていましょう。

わたしからあなたへ。
今夜は温かいスープでも飲んで、どうか、心穏やかな眠りにつけますように。