冷たい水と夜空の記憶

──私の頭を澄ませるささやかな手仕事

1. 涙の落ちる場所と、冷たいおまじない

両目の端に、ひとつずつ大きめの泣き黒子がある。

幼い頃から、心や体の許容量がすこしでも溢れそうになると、自分でも驚くほどの速さで目頭が熱くなり、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちてしまう。周囲からは涙脆い人だと思われるけれど、私にとっては感情の昂ぶりというよりも、器から水が溢れ出るような、ごく自然で抗えない現象に近い。

聞けば、赤ん坊のころからそうだったらしい。

疳の虫がひどく強くて、背中スイッチはいつも鋭敏に尖っていた。抱っこを解いて布団に降ろそうとするだけで火がついたように泣き出し、母や祖母の気力を削り取って、ついには二人を入院が必要なほど追い詰めてしまったのだと聞かされた。見かねた叔母が、神社に来ていた拝み巫女のもとへ私を連れて行き、お祈りをしてもらってからは、少しだけその激しさが弱まったのだという。

(心の不安の種が芽生えると、

瞬く間に根を伸ばして心と頭を満たしていく。気づけば「わー」っと叫び出し家や家の外、近所へと飛び出していた)

共働きでくたくたに疲れていたはずの母は、そんな私を責めることもなく、そっとおんぶして外へ連れ出してくれた。

母の背中の温もりを感じながら見上げた夜空には、いつも満天の星が瞬いていた。母は星が好きだったのだろうか。私をあやしながら、オリオンやカシオペア、季節の星座の名前を静かに教えてくれた。

私の冷えた頬に触れる夜風と、母の背中のぬくもり。あの夜空の記憶は、今でも私の根底にある最初の安らぎの風景だ。

高校生になる頃には自然と収まっていったけれど、大人になって社会に出ると、また別の形で体と心がSOSを出し始めた。以来、心療内科の扉をくぐり、長いお付き合いが続いてる。

けれど、大人になった今の私には、自分をそっと宥めるための**「ささやかな手仕事」と「おまじない」**がある。

💡 頭が煮詰まったときの「切り分けの作法」

1. 白紙に箇条書きで書き出す

頭の中を駆け巡っているぐちゃぐちゃとした感情や思考を、そのまま紙に落とし込む。

2. 静かな棚卸しをする

「心の迷い」なのか「体の悲鳴」なのかをじっくり切り分ける。

3. 次に打つ手を選ぶ

 心からなら ➔ 哲学、心理学、福祉の本をひもとく

 体からなら ➔ 自転車で風を切り、汗を流してみる

4. 身体の熱を逃がす

おでこや首筋に冷たいジェルシートを貼る。ひんやりした感触とともに、混線していた思考が解けていく。

2. 魔法瓶のなかの小さな宇宙

私の職場は、犬たちの毛を整え、命を預かるトリミングサロンだ。

トリマーという仕事の現場は、外から見るよりもずっと苛酷だ。室内を冷やすためにエアコンを16度設定にしていても、ドライングの熱風や大型のドライヤーから出る湿度によって、部屋の気温が一気に26度を超え、湿度が80%以上に跳ね上がってしまうことも珍しくない。

犬たちの命を守り、自分自身の集中力を保つために、私は夏になると小さな防衛戦を張ることにしている。頼りになる相棒は、象印やタイガーの魔法瓶だ。

朝、家を出る前に魔法瓶の中にこれでもかと氷を詰め込み、お気に入りのミネラルウォーターや冷やしたお茶を満たしていく。時には、ドライフルーツを水に入れてじっくりと戻したフルーツティーを作ることもある。カラカラに乾いていた果実が水の中で丸みを帯び、甘みと香りを水に移していく様子を眺めるのは、朝のささやかな楽しみだ。

 朝一番の儀式

起きてすぐに急激に冷やすと体が一驚してしまうから、朝だけは常温の水でプロテインをゆっくり一杯飲む。

 夏の装備品

重たい魔法瓶、塩分タブレット、粗塩を鞄に詰めて仕事場へ向かう。

それでも先日、気を付けていたはずなのに熱中症の症状が出てしまい、病院で点滴を受けることになってしまった。命を預かる緊張感と熱帯雨林のような湿度のなかで、私の体は限界を超えていたらしい。

身体というものは、本当にままならない。

特にお盆の前からお盆明けにかけての時期は、幼い頃から私にとっての「鬼門」だ。酷暑と湿気が体に蓄積し、休みの日は泥のように倒れ込んで動けなくなる。かと思えば、夜になると頭の中が異様なほど騒がしくなり、何日も寝付けない夜が続く。眠れたとしても、うとうとと浅い眠りが2、3時間続くだけだ。

処方された睡眠薬を飲むこともあるけれど、薬を飲んだ翌日は体が宙に浮いているような浮遊感に包まれ、どこまでが現実でどこからが夢なのかが曖昧になってしまう。

だから私は、自分の手でできる小さな調整を幾重にも重ねていく。

🌿 私を整える、日々の小さな手仕事

 接骨院へ足を運び、身体の歪みを整える

 温泉に浸かって、凝り固まった関節を温湯に委ねる

 愛犬のリードを引き、夕暮れの風を感じながら歩く

 部屋でお香を炊き、立ち上る一筋の煙をぼんやり眺める

 でんぐ返しの途中の格好で、頭頂部の**「百会(ひゃくえ)」**のツボを床に押し当てる

かっこいい作法じゃなくていい。誰かに見せるための丁寧な暮らしじゃなくていい。

不器用でも、滑稽でも、自分が息を吹き返せるための小さな手触りを、ひとつずつ集めていけばいいのだと思う。

3. 透明な膜の内側で、静かに息を吐く

世の中はいつも、私がついていけないほどの速さで回っている。

効率や生産性、正しさや完璧さを求められる場所の中にいると、私のなかの小さな許容量はあっという間にいっぱいになって、目頭が熱くなってしまう。社会の求める「普通」のスピードからは、どうしても少しだけはみ出してしまうのだ。

けれど、最近はこう考えるようになった。

私の周りには、目に入らない一枚の「透明な膜」がある。

その膜の内側は、私だけの静かなシェルターだ。

外側の騒がしい音も、他人からの評価も、焦りや比較も、すべてこの透明な膜の表面でつるんと弾かれていく。

膜の内側には、冷えたお水を入れた魔法瓶があり、香ばしいお香の香りが漂い、ふかふかの愛犬の温もりが寄り添っている。ここでは、無理に急いで走る必要はない。世間の速度に合わせなくても、私には私の歩幅と呼吸の速度がある。

不安で頭がいっぱいになったときは、まず立ち止まって、冷たいジェルシートでおでこを冷やし、常温の水や温かいお茶を一口飲んでみる。そして、手のひらに触れるものの感触にじっと意識を傾ける。

紙に書き出した言葉の棚卸しをするのも、魔法瓶に氷を詰めるのも、でんぐり返しの格好でツボを押すのも、すべては私自身が**「私の速度」を取り戻すための小さくて愛おしい儀式**なのだ。

この酷暑の夏、誰もがギリギリのところで踏みとどまりながら、自分の季節を生きている。

もしあなたも、心が重たい熱を帯びて呼吸が浅くなっているのなら。どうか小さな氷を口に含んだり、お気に入りの飲み物を丁寧に淹れたりして、ご自身の身体をやさしく労わってあげてほしい。

完璧になんて生きられなくていい。思い通りにならない身体と、泣き虫な自分をそのまま抱えながら、透明な膜の内側で静かに息を吐く。

今夜も冷たい水で頭を冷やし、泥のように深く眠りにつこう。明日もまた、私の大好きな飲み物とささやかな手仕事を用意して、自分の歩幅で、ゆっくりと歩いていくために。